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Sea Burial

今日は朝早くから、レドンドビーチで水葬(sea burial)に参加してきた。
その名の通り、遺灰を海にまくお葬式。
このトピックを日記に書くか迷ったけれど、亡くなった女性のことを覚えておく意味でも、そして彼女がいたことを日記を通して人に伝えられるかもれしれない、という思いから、記録しておこうと思う。不謹慎で気分を害してしまったらごめんなさい。

彼女の名前はスザンナさん。80代の日系人女性。
いわゆるWar Brideで、第二次大戦後に日本に滞在した米兵と、家族の反対を押し切って結婚して、アメリカに渡って来た。
ご主人と離婚してからは、子供も無かったこともあり、アメリカに家族も親戚もいなかった。頼れる友人もいないようだった。英語もあまり話せず、車も運転せず、外に出かけることもできなかったのだろう。
そんな彼女と数年前に教会を通じて知り合った。教会のことを電話帳で見つけて、「行きたいけど、車が無くて行けない」と。夫と二人車で迎えに行った。
健康状態もあって、数回しか教会では会わなかったが、一人暮らしの彼女を夫と二人でランチにさそったり、手紙を書いたりしていた。
入院してからは、夫が何度かお見舞いに行ったが、数ヶ月前、帰らぬ人となった。ハキハキとした、江戸っ子という表現がぴったりな女性だった。

入院先の病院から彼女が亡くなったという連絡が夫の下に入ったが、「身元引受人は誰になるのか」という質問に、答えられない。彼女にはアメリカに誰一人家族親戚がいなかったから。そして元ご主人の連絡先もわからない。

わずかな情報を頼りに、どうやら日本に弟さんがいるらしい、ということがわかって、どうにか連絡がついた。が、数十年前から絶縁状態だった日本のご家族は、遺体の引取りを拒否。お金だけは出すから、アメリカで水葬してくれ、という。




絶縁しても血を分けた家族なのに、と憤りも感じながらも、早く身元引き受けを申請しないと、遺体は郡政府のものになってしまうので、弟さんから葬儀場宛てにサイン入りの同意書を用意してもらい、葬儀場が遺体を引き受けることになった。

Sea Burial_c0002590_14153839.jpg葬儀場で荼毘にふされ、Sea Burial Serviceを予約し、今日水葬を行う運びとなった。
朝8時。とっても風が強かった。
10人乗りくらいのボートで1マイルほど沖に出る(カリフォルニア州の法律で、50ヤード、だいたい1マイルは岸から離れないといけないのだ)。
参加者は、夫、私、そして船長さん。


Sea Burial_c0002590_14171535.jpg小さなカゴに入った遺灰。上に花がしきつめられている。ピンクのカーネーション。印象的なことに、花の上に一匹、バッタがいた。どうやら足を怪我して飛べないみたいだった。スザンナさんと一緒に朝からいたんだね、などと夫と話す。


Sea Burial_c0002590_142056100.jpg十分に沖に出てから、船長さんが詩を二つ朗読してくれた。ひとつはアメリカインディアンの、Hopi族による詩。もうひとつは、イギリス人の詩人、Alfred Lord Tennysonの"Crossing the Bar"。後者は特にお葬式で読まれる詩のよう。そしてカゴを海に流す。カゴが重みで沈んでいくかたわら、遺灰と花が水面に浮かび上がる。遺灰が見えなくなると、目はピンク色の花をずっとずっと追いかける。涙が止まらない。ピンクのカーネーション、そしてレドンドビーチのピアに来たら、必ず彼女を思い出すだろう。

今日、かなり冷え込んで初めて薪をくべて暖炉に火をつけた。
木の燃えるパチパチという音を聞き、炎を眺めながら、ぼうっとしていると、ふと今日の朗読された詩の最後の部分を思い出した。
"I hope to see my Pilot face to face
When I have crossed the bar. "
(バーを越えたら(=天国に入ったら)、私のパイロット(=神)に会えることを願っている)

スザンナさんは、彼女のパイロットに会えたのかな。
by eugeen | 2005-12-03 13:53 | 教会・信仰

大学院・結婚・就職・出産その後の生活@Los Angeles and Orange County, CA 最近はすっかりお家派…。


by eugeen